山岳信仰

役小角、神峯山開山の伝説

「~寺」と聞くと、天台宗や真言宗など仏教宗派を先ず連想する方もいらっしゃるでしょう。事実、神峯山寺は天台宗寺院として千年以上の歴史を持つ古刹ですが、伽藍(がらん)やお堂は天台宗が伝わる以前から存在していたのです――。開山当時、神峯山一体は山岳信仰が盛んな霊場として知られ、比叡山や葛城山に並ぶ「七高山」として多くの修験者が行き交っていました。ここでは、神峯山寺の山岳信仰について紹介していきます。

九頭龍滝 九頭龍滝
九頭龍滝 九頭龍滝
九頭龍神堂 九頭龍神堂

山岳信仰が栄えた地理的背景

そもそも、山岳信仰とは日本独特の信仰である「古神道」の流れも汲み、主に内陸の険しい山々に住む民の、自然環境に対する畏敬の念から生まれたものだと言われています。神峯山寺周辺の地形もまた、大阪・京都の中間に位置しながら箕面-高槻-亀山にかけて険しい峯々が連なっており、信仰の起源として相応しい地域であったことが分かります。加えて、神峯山独自の信仰にまつわる伝説や逸話もあまた残されているのです。

藍婆・毘藍婆石
藍婆・毘藍婆石
藍婆・毘藍婆石

遥か古より伝わる竜神の存在

「神峯山は『竜神』であり、境内に在る九頭龍滝は竜神の口である」という認識が、麓の村では浸透しているのだとか――。峯を龍の背中になぞらえた起源は定かでありませんが、朝靄に包まれ静謐を保つ神峯山は、千年の時を超え村を抱き見守る龍のように、厳かで神々しい姿をしています。そして、その山中で起こった不思議な出来事こそが、修験者・役小角がもたらした神峯山寺開山の伝説として今日に伝えられています。

内陸部の峯に、
水神がいた理由

遠く大和の国・葛城山中で修行をしていた役小角は、遥か北方のおぼろげに見える稜線付近から一点の光を見つけ、その地に向かいます。そして辿り着いた九頭龍滝で、水神・金毘羅童子に出会ったのでした。神峯山の地に水の神がいた由縁は諸説存在しますが、当時の畿内の地形は摂津近辺まで瀬戸内海の入り江が存在し、今日よりもさらに海が神峯山に迫っていたことが理由の一つとも言われています。

童子が刻んだ、
四体の毘沙門天

もとい、その金比羅童子は役小角に対し、この地に伽藍を建立するよう告げました。その際に使った霊木から、童子は四体の毘沙門天像を刻んだとされています。そして、それらのうち一体は神峯山寺に留まり、第二は北東に位置する京都・鞍馬山へ、第三は南方に位置する奈良・信貴山へ、第四は神峯山の北峯へと飛び去ったと伝えられているのです。さらに、四つの毘沙門天の軌跡を辿れば、この伝説の興味深い点が現れてきます。

山岳から生まれた、
毘沙門信仰

まず、神峯山寺は現在も本堂に毘沙門天が鎮座しており、その奥の院と称される北山の本山寺もまた、毘沙門天が奉られています。さらに北東に向かえば、鞍馬には毘沙門天を奉る鞍馬寺があり、南方・信貴山には「毘沙門さん」として今も人々に親しまれる朝護孫子寺が存在するのです。文献によれば、信貴山は開祖・聖徳太子が天空に毘沙門天を見たことから日本最初の毘沙門天出現地とされていますが、四体の毘沙門天の発生は同時だったのではないかという推察を立てることが出来ます――。

とまれ、神峯山に残る山岳信仰と毘沙門天とは深い繋がりがあり、役小角による修験道の世界においても毘沙門天は信仰の対象として厚く奉られていたようです。事実、今日においても神峯山寺や麓の村では修験者にまつわる行事が行われており、この地における山岳信仰がいかに所縁があったかをうかがい知ることができるのです。

神峯山寺修験・回峰行 神峯山寺修験・回峰行
峯山寺修験・回峰行 神峯山寺修験・回峰行
火渡りの神事(初寅会) 火渡りの神事(初寅会)
山にあった石仏 山にあった石仏

(参考:神峯山寺秘密縁起)


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