阿弥陀信仰

千年、人々を救済する
阿弥陀信仰

阿弥陀信仰とは、後に天台宗より派生した融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・時宗などの浄土系仏教に見られる教え。貴族と一般民衆の経済格差が顕著になり、困窮な生活を強いられた人々の間で広まったことから、民間信仰とも言われています。ここ神峯山寺でも、天台宗寺院として皇族と深く関わる一方、平安後期に人々を救済する阿弥陀信仰が栄えました。ここでは、神峯山寺の阿弥陀信仰の歴史と特徴について詳しく解説していきます。

神峯山に残る
病魔退散の伝説

阿弥陀信仰で崇める阿弥陀如来は、人々の身体から悪鬼・悪霊や病魔を退散させ、慈悲の心で民衆を救済する仏様。神峯山寺には、阿弥陀如来の持つ力を証明する伝説が残っています。遡ること約1000年前。神峯山の麓の村に暮らしていた橘輔元(たちばなのすけもと)という民は、不治の病を患っていました。しかし、病魔に蝕まれた身体で神峯山寺を訪れ、幾日も一心不乱に念仏を唱え続けたところ、病気は全快したというのです。

神峯山と、
融通念仏宗との所縁

この伝説には、その信憑性を高めるエピローグがあります。全快した橘輔元はその後、良忍(りょうにん)のもと出家し、神峯山寺当山36代座主良恵(りょうけい)となります。良忍は天台宗の僧侶であり、大原来迎院で修行中、阿弥陀如来から『一人の念仏が万人の念仏に通じる』という教えを授かり、融通念仏宗を開宗。日々、念仏を修していたところ、鞍馬寺の毘沙門天がお姿を現して、融通念仏を人々に広め救済するよう啓示。融通念仏の源流が大原から神峯山寺で伝播されました。神峯山寺住職となった良恵は良忍のもとで、融通念仏の第二祖となり、阿弥陀如来(来生)と毘沙門天(現世)をともに信仰し、現世も来生も安泰、という神峯山寺独自の信仰を広め、一般民衆の中で栄えていきました。
橘輔元が祈り唱えた阿弥陀如来像は現存し、国指定重要文化財となり、今も神峯山寺・本堂で、皆様をお護りいただいています。

「融通念佛宗総本山大念佛寺」の融通念佛会
「融通念佛宗総本山大念佛寺」の 融通念佛会
「融通念佛宗総本山大念佛寺」の 融通念佛会
「融通念佛宗総本山大念佛寺」の融通念佛会、
百万遍大数珠くりの様子

信仰の証・阿弥陀如来像

神峯山寺秘密縁起にその後の記述はありませんが、鎌倉以降より現代に至るまで、神峯山周辺では阿弥陀信仰が栄え、多くの民衆が神峯山寺の阿弥陀如来像に向け手を合わせたとされています。近世に阿弥陀堂は火事により消失してしまいましたが、阿弥陀如来像(国指定重要文化財)は難を逃れ今も境内に鎮座、1000年に及ぶ信仰の証となっています。また、近年は新たに建立された「嶺峰院納骨堂」にも阿弥陀如来像が造られ、訪れた人々を優しい目で迎えています。

阿弥陀如来(国指定重文) 阿弥陀如来(国指定重文)
阿弥陀如来像「嶺峰院納骨堂」 阿弥陀如来像「嶺峰院納骨堂」

(参考:神峯山寺秘密縁起)


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